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【仕事】真夏の球場でコーラの売り子したら20円もらえた

こんにちは。絶賛無職中のままるです。

ままるは今まで、実にさまざまな仕事をしてきました。

実際自分で数えきれないくらいの多くの職種を経験してきました。

実際数えられないなら、覚えている限り数えてみようと思いつきましたので

今日はままるの職歴を書いてみます。

men

 人生最初の仕事は球場のコーラ売り

ままるは高校生のころ、欲しくて欲しくてたまらない物がありました。

バイク カワサキ バイク ブンブン

ってことで、中古のバイクとバイクの免許代を稼ぐために、神宮球場の「コーラ売り」を始めます。

このバイト、今思えば、21世紀では考えられないくらいブラックでしたねー。

なんと給与体系が

フルコミッション制

基本給が無いんです。まさかの完全歩合。

1本200円のコーラを売ると、売り子には10%の20円が入ってきます。

 

後に知る事ですが、飲食業における人件費の割合は25%〜35%が相場です。

そう考えると僕にコーラを売らせていたお店はぼろ儲けですね。

まあお店っていうか、マンガ「カイジ」の世界のような感じでしたw

神宮球場をホームに持つヤクルトスワローズは当時あまり人気がなく、お客さんで賑わうのは巨人戦くらい。

天候の良い巨人戦で、300本〜400本くらい売った記憶があります。

当然交通費も出ませんから、なかなか条件悪いと思いますが、当時高校生だったままるは「ただで野球も見れるしまあいいか」と1シーズンやりきります。

当時僕が乗っていた先輩からのお下がりのバイクは、1万本以上売ったコーラによって得られたわけです。

夢は厨房のなかに

野球の試合は毎日あるわけではないので、並行して別のバイトも探しました。

こじゃれたイタリアンレストランで「16歳OK」の張り紙をみてそのまま突入。

10分後にはコックコートを着せられて厨房に立ってました。

皿洗いでもやらせられるのかと思いきや、いきなりサラダを盛らされました。

不格好なサラダが完成すると、なんとそのままお客さんに!!

衝撃でしたね。

世の中こんなもんなのか。

そこのチーフは沖縄空手の使い手の国義さん。

その日から3年間、国義さんのチョップとキックも学びながら料理に邁進します。

恐怖の国義さんが休みのある日、暇だったので厨房内の「極秘国義レシピ」的なファイルをあさっていて、若き日のままるは衝撃的な資料を見つけます。

原価表

メニューの原価がずらりと並んでいました。

普通ままるのようなバイトが気にする事も目にする事も無い資料です。

そこに書いてあった衝撃の数字。

この数字が後のままるの人生を大きく変えます。

ミックスピザ 売値 880円 原価45円

 

原価45円!!!!!!!!!

 

ミックスピザはディナー帯に100枚近くも出る人気メニューでした。

飲食店ってこんなに儲かるのか。。。

 

これは自分でやらない手は無い!

 

ままるが商売に目覚めた瞬間は、間違いなくあの原価表を見た瞬間でした。

アイラブレストラン

その日からままるの目標は「飲食店開業」。

高校を出て数年間、有名ホテルやレストラン、割烹料理店など次々と仕事場を変えノウハウを盗みます。

そして24歳にしてカジュアルフレンチのお店を1から開業、自らマネージャーになり、実質上の店舗運営を始めました。

当時は空前のレストランブーム。

都内にはセンスの良いお店が次々とオープンしていました。

そのころのままるのバイブルがこちら。

奇才天才のレストランオーナー達の列伝です。

今読んでもこころが熱くなります。

10年やって飲食の限界を知った

僕はどんな仕事よりきっと飲食業が好きです。

でも飲食業を本気でやったら、その限界も知ることになりました。

そして飲食業から脱却、というか飲食業で負った借金を返済しながら生きて行く人生が始まります。

飲食業以外はまったくの素人のままるでしたが、人間やれば何とかなる。

その後の数年間は別会社を立ち上げ、出来る事は何でもしました。

規模の大小はあれ、まだまだやって来た事はあります。

関わって来たクライアントも、音楽、アニメ、建設、医療、政治、アパレル、雑貨、芸能、美容、不動産、など本当に多岐にわたります。

今思えばよくもまあこんなに色々やってきたと自分でも驚きます。

様々な世界を見て来たから、大体ですがほとんどのことに予測がききます。

なんとなくこうだよねって感じです。

それがいいのか悪いのかわかりませんが。

これから何する?

ざっくりですがこんな人生です。

でもままるは、決して成功しているわけではありません。

成功者であればきっと上記のジャンルで何者かになっていたはずです。

ままるは人一倍世間を見て来たという自負だけはあります。

 

さて、これから何をするか?

 

それがいまの「無職状態」なのです。

そろそろ考えがまとまりつつあります。

 

ままるの最初の人生の目標は「飲食店開業」でした。

その目的は「幸せに生きる」こと。

いまでも最終ゴールの「目的」は変わっていません。

自分が「幸せに生きる」ために時によって変えてきた「目標」がまた変わるだけです。

 

「自分が幸せに生きるために今日を消化する」

人生なんてその繰り返しでしか無いと、ままるは思います。