【広島カープ優勝パレード】黒田博樹投手引退!男なら男気溢れる黒田のように生きたい
こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。
今季セリーグで優勝した、広島東洋カープが実に1975年以来、41年ぶりという優勝パレードを開催しました。
広島・黒田、涙の胴上げ15回 「世界一のカープファン」の前で (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
25年ぶりとなるセリーグ優勝の影には、多くの選手の活躍がありましたが、とりわけメディアで話題なのは、2015年にメジャーから広島カープに戻って来た投手「黒田博樹」。
今季の日本シリーズ第三戦にて、現役最後の登板をして引退。
多くのファンが涙した試合でした。
「男黒田」と賞される黒田博樹の生き様は、野球人だけでなく僕ら男の憧れです。
そんな今となっては「伝説の投手」の一人となった黒田博樹の野球人生を振り返って、「男の生きるべき生き様」について語ろうと思います。
今日はそんなお話です。
http://toyokeizai.net/articles/-/81288
黒田博樹投手とは
広島東洋カープの伝説的投手。
1997年広島東洋カープ入団。
引退する2016年まで20年間の現役生活を送ります。
黒田博樹は自分の野球人生の節目節目で、他の多くのプロ野球選手とは違う「男気あふれる」決断をしてきました。
その決断を振り返り、黒田博樹の男気に触れます。
男気のプロ入り
黒田博樹は、メディアを賑わすいわゆる「スター選手」としてデビューした訳ではありません。
高校時代は控え投手。
高校最後の夏は、一球も投げる事無く部活を引退したと言います。
専修大学に進学後、野球を続ける黒田博樹の元に、たった一人だけ頻繁に顔を見せるスカウトマンがいました。
広島東洋カープのスカウトマンです。
大学野球でスピードガン表示が開始されると、黒田博樹は球速150kmをマーク。
とたんに他球団のスカウトも押し寄せましたが、黒田博樹は「最初から自分に目を掛けてくれた」という理由で、広島東洋カープを逆指名して入団します。
契約金など条件面ではなく「情」で選んだ広島東洋カープ。
黒田博樹の男気を感じる、原点のエピソードです。
男気のメジャー入り
黒田博樹のプロ野球人生は、順風満帆なものではありませんでした。
プロ入り一年目は2軍でのスタート。
プロ入り2年目はわずか1勝でシーズンを終えています。
血のにじむような努力の末、入団後5年目にして、黒田博樹はついにエースの座をつかみ取ります。
その後活躍を続ける黒田博樹ですが、多くの選手がメジャーリーグに移籍、活躍を始めたころでもありました。
そんな黒田博樹にも、メジャー移籍のチャンスが舞い込みます。
2006年黒田博樹にFA権(他球団に移れる権利)が発生します。
黒田博樹は、誰よりもファンの為にプレイする野球人でした。
黒田博樹は悩みます。
広島に残るべきか、メジャーに行くべきか。
黒田博樹の胸中を察していたファンは、野球史に残る意外な行動に出ます。
黒田が登板した時、スタンドに大弾幕を広げました。
http://next-hiroshima.net/2014/12/27/carp_kuroda_15/
「我々は共に闘ってきた。
今までもこれからも。
未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら
君の涙になってやる。」
ファンから選手へのメッセージとはほんとうに異例のことです。
このファンの気持ちを汲み、黒田博樹は同年広島残留を決意し「国内では広島以外でプレーする気は無い」という「生涯広島宣言」をしたことでも有名です。
ファンの黒田博樹に対する「男気」に「男気」で答えた黒田博樹でした。
男気が帰って来た
しかしその翌年、黒田博樹はメジャーに移籍します。
その決断の裏には、2015年に起きるあの伝説の出来事がすでにかれの胸中にあったのではないかと僕は推測します。
メジャーに渡った黒田博樹は、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースと共に名門チームで実力を発揮、7年間という期間を世界一のステージで闘います。
そして2014年、日本に衝撃のニュースが走ります。
「黒田が広島に帰ってくる」
メジャーリーガーとしても軌道に乗っていた黒田博樹は、2015年も多くのチームから契約の打診を受けていました。
その推定年俸は20億円。
それを蹴って、年俸4億円の広島東洋カープに戻ってきたのです。
メジャーリーグで数十億という年俸をもらっていた黒田博樹にとって、4億円というのは税金を考えると、金銭的には「タダ」で働くことになると言ってもいい。
これは本当に異例中の異例の話で、広島ファンはもちろん、日本中のひとが驚きました。
「自分はファンに支えられ、励まされ野球を続けてこれた」
「今度は自分が、ファンの力になれればと広島に帰ることを決断した」
まさに「男気」黒田博樹の男気がクライマックスを迎えた瞬間でした。
男気の引退
黒田博樹20年の野球人生。
たったひとつ足りないもの、それは「優勝経験」でした。
プロ野球選手としての人生を生きていれば、もちろん「優勝」したい。
でも黒田博樹はミラクルを起こします。
2016年、広島は夏から独走態勢で、25年ぶりとなるリーグ優勝を勝ち取りました。
まさに英雄「黒田博樹」の引退ロードをチーム、ファン一丸となって作り上げた様相です。
本当に死闘の連続でした。
迎えた第三戦、登板した黒田博樹の足に異常が出ます。
テレビ画面越しでもはっきりと分かるくらい、足を引きずっていました。
それでも黒田博樹は表情一つ変えず投げ続けました。
「次が最後の1球になるかもしれない」
そんな思いが、1球1球に宿る魂のピッチングでした。
皮肉か運命か。
黒田博樹野球人生、最後の1球は現在のプロ野球界の新人スター「大谷翔平」に投げた渾身の1球でした。
男気とは
「男気」と聞くと「古い」「ダサい」と思われるかも知れません。
でも僕は、やっぱり男ならこうあるべきだと思うんです。
端から見て、どんなに泥臭くても「貫き通す信念」。
ひとを思う筋の通った生き方。
「男だったら」というセリフは、男の為にあるものです。
他の誰がなんと言おうと、自分の信念の決断を自分で貫く。
自分に言い訳をせず、自分のケツは自分で拭く。
そんな「昭和のおじさん」みたいな生き方が、僕はやっぱり好きなんですね。
黒田博樹は多くを語るようなキャラクターではありません。
でも貫き通す「信念」によって、ひとは惹かれ、感動します。
それこそ「男気」なのではないでしょうか?
そんな「男気」あふれる生き方を、僕もしたいと思います。
黒田博樹投手、20年間おつかれまでした。
そして多くの感動をありがとう!