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【看護助手】病院で働いてみて嬉しかったことと悲しかったこと

こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。

今日も夜勤明けでこの記事を書いています。

病院で働いたことなど一度も無かった僕ですが、看護助手として病院で働くと、思った以上に様々な気づきがあります。

まだたった4カ月ですが、単純に嬉しいこと、悲しいことも日々経験しています。

今日はそんなお話です。

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 病院で働いてみて分かったやりがい

僕が病院で働きたいと思った経緯はこちらの記事。

www.goodnojob.com

実際に働いてみて、医療の現場と言うのはほんとうにやりがいのある職場だと思います。

誠意を込めて対応すれば、患者さんから本当の意味の「ありがとう」をもらえます。

病状が思わしく無い患者さんが回復して退院するときの笑顔は、働く人間としては何よりのやりがいです。

 

こんな自分でも、少しだけ誰かの役に立てているという実感があります。

病院で働いてみて感じた悲しかったこと

高齢の患者さんの場合、病状の他に認知症を伴っている場合も少なくありません。

なので仲良くなっても、なかなか名前を覚えてもらうことは難しいのです。

そんな患者さんでも、勤務の度に何度も何度もケアを続けていくと、やっとのことで名前を覚えてくれることがある患者さんもいます。

そんな患者さんも、元気になって退院する場合もあれば、病状が悪化して亡くなる場合もあります。

つまり患者さんと仲良くなっても、一緒にいれる時間は限りなく短いのです。

懸命に患者さんに尽くして頂ける笑顔は、一時のはかないもの。

これもまた医療現場で働く切なさだと思います。

高齢者と関わって知ったこと

僕の勤務する内科病棟は、80代90代の患者さんが多いです。

時間があるときは彼らの話し相手になるのですが、彼らの話は歴史そのもの。

非常に興味深いです。

81歳の町田さんは、昭和10年生まれ。

終戦の年に10歳だった訳ですから、すごいとしか言いようがありません。

町田さんは満州から日本に船で渡ってきたそうです。

終戦直後はほんとうに食べるのも困難で、今では考えられない生活をしてきたと言います。

そんな彼に「何歳のころが一番人生が楽しかった?」と聞いてみたら

「嫁さんも取れたし息子も2人生まれた。」

「自分の一生はいつでも幸せだったよ。」

と目を細めました。

終戦後のもののまったく無かった時代を生きた人。

現代を生きる僕らとは違って「本当に必要なもの」だけで充分だという考え方なんですね。

ありとあらゆるモノで溢れる現代より、モノが無かった時代の方が「豊か」だったのではないかなと町田さんの話を聞いて思いました。

「もっと便利なもの」

「もっと楽しいこと」

「もっとたくさんのお金」

「もっともっと」ばかり考えて消耗する人生より「ほんとうに必要なもの」だけを大切にする生き方。

これが本質なのでは無いかと、人生の大先輩の話を聞いて気づかされました。

まとめ

病院は健康なひとが来る場所ではありません。

しかしその健康を害し、回復に向けて懸命に戦う人を身近でサポートすると、日常では見えないものが見えてきます。

生きるということ、死ぬということ。

人間の本質が学べる場所であるような気がします。

今朝、町田さんが元気に退院して行きました。

町田さんは健康を取り戻し、静岡にある景色の素敵な施設に入るということです。

きっと僕は町田さんと二度と会うことは無いでしょう。

さっき握ったばかりの町田さんとの固い握手を僕は忘れません。

元気でね、町田さん。

出会ってくれて、ありがとう。

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