僕のおやじが今朝死んだ|父への追悼記事・生きるという事と死ぬという事
こんにちは。ままる@mamaru0911です。
僕の父親が、今朝死にました。
享年70歳。
早すぎる突然の死です。
僕の両親は、北海道に住んでいます。
僕は今、北海道行きの飛行機の中でこの記事を書いています。
(あまりにも乱文だったため、後日リライトした記事です)
僕のおやじの死。
誰も興味無いかも知れません。
でも僕は書きます。
天国のおやじの為に、この記事を書きます。
夢を叶えたおやじ
僕のおやじは、北海道の山奥で生まれ育ちました。
同級生の母親と結婚、2歳の僕を連れて自身が28歳の時に、大都会東京に一家で引っ越して来ます。
以来30年間、会社員として職務を全うし定年後は、夢であった「ふるさとでの暮らし」を送る為に北海道の実家にUターンしました。
それから12年。
夢のマイホームを田舎の土地に建て、母親と二人で老後ライフを満喫していました。
病気知らずの70歳。
趣味のジャズを聞き、写真を撮り、絵を描き、まさに僕のおやじの老後の生活は、悠々自適の日々だとばかり思っていました。
今朝、母親から来たショートメール。
一瞬目を疑いました。
「お父さんが急死しました。至急連絡下さい。」
享年70歳。
早すぎる、そしてあまりのも突然の死でした。
僕のおやじ
僕には兄弟がいません。
なので、小さなころから何事も相談するのはおやじでした。
おやじは多くを語らず、もの静かな人でしたが、どんなときも僕に的確なアドバイスを送ってくれました。
僕は小学校3年生の時に、学校でいじめに合い不登校に成りかけたことがあります。
おやじに相談すると
「やられたら、やりかえせ」
という平和主義のおやじから、驚く様な意見が出ました。
僕はおやじの言葉どおり、いじめグループのボスに公園での決闘を申し込みます。
死にものぐるいで格闘した結果、次の日から僕に対するいじめはぴたっと止みました。
僕が大人になって、事業を行うようになっても、事あるごとにおやじの意見は僕の背中を何度も押してくれました。
その言葉が、もう聞く事が出来ない。
寂しくて、悲しいです。
生きるという事、死ぬという事
僕は現在、介護士として老人ホームで働いています。
20代から会社を興し、様々な事業をやってきましたが40歳を境に後の自分の人生を考えるようになりました。
その中で、何もしてあげられなかった両親に「最後くらい手伝ってあげたい」という気持ちが芽生えたのも、僕が介護士になった理由のひとつです。
でもおやじは、僕の介護など必要とする間もなく、この世を去ってしまいました。
人生とは本当に計画どおりにはいかないものです。
認知症や身体的な障害を持ちながらも、10年以上施設で暮らす人も少なくありません。
僕のおやじは、お洒落でカッコいい人でした。
冷静に考えると、自分自身で身支度が出来なくなり、他人の介護を必要として生きていくおやじの姿は、未だに想像が出来ません。
そう言う意味では、70歳で元気なうちにくも膜下出血一発で死んでしまったおやじは、とても「おやじらしい」のかも知れません。
日々介護をしていると、複雑な思いに駆られる事もしばしばあります。
認知症が悪化し、自分が家族が誰であるかも分からなくなって生き続けることが、果たして幸せなんだろうか?という事です。
誤解を恐れずにいえば、「生きている」というのは「選択が出来る」ということだと僕は思います。
何を着るのか、何を食べるのか、今日何をして過ごすのか。
自分で「選択出来る」こと。
それば「生きている」意味である様な気がします。
そう言った意味でおやじは、自分の人生を「生きているうちに死んだ」幸せな人だったのかも知れません。
死にたいという人へ
おやじは、誰にも何の挨拶も無くこの世を去りました。
遠くは慣れていても、どんなときでも見守ってくれていたおやじがもういない、というのは凄く不思議で寂しい気分です。
母親からの連絡が合って、すぐに北海道に飛びおやじの葬儀を済ませました。
同時にもろもろのおやじの名義を、母親に変更する手続きをとってきました。
土地、家屋はもちろん、銀行口座や携帯電話にいたるまで、様々なおやじの名義を抹消していきます。
生きていたひとが、消えて無くなるのはこれもまた不思議な気分です。
「死にたい」という人は大勢います。
しかし「死にたい」という感情と実際に「死ぬ」ということは全くの別物のような気がします。
もしあなたが「死にたい」と思い、実際に「死ぬ」ことがあったら、きっと誰かがあなたの名前をこの世から抹消する作業をすることになります。
その人は、どんな気持ちでその作業をするのでしょうか?
どんな人間も、たった一人では生きていく事は出来ません。
「死ぬ」という行為は、とても個人的な問題なように見えますが、周りの多くの人にも影響を与えます。
「死にたい」と思うなら、そんな周りの事も少しは考えてみたら良いのでは無いかと、僕は思います。
最後に
おやじへ
もう二度と聞けない、おやじの声がすでに懐かしく感じます。
今にも電話が掛かってくるような気がしてなりません。
僕が世の中で最も尊敬する人間は、他の誰でもなく自分のおやじでした。
若い頃は、そんなおやじを超える様な人間になろうと必死だった時期もあります。
でも到底無理な話しでした。
僕はあなたに生涯追いつく事も、追い抜く事も出来ませんでした。
これからの自分の人生、少しでもあなたに近づけるように生きていきたいと思います。
おやじへ
もう一度、話しをしたかったな
おやじへ
天国にネットは繋がってるのか?
この記事が読めるのかね?
おやじへ
ほんとうに今までありがとう
俺はおやじの息子に生まれて本当に幸せだったよ
おやじへ
後の事は心配いらないから
ゆっくり休んでくれ
おやじ、大好きだよ